Subeatleoの自作ルーム

 

連載小説 静まりし二つの羽根2 第13話

天変

 レクは吹き返す風と雨とその方角がどこからくるものかそのダイスを投げた。完璧だった。そうその完璧なる事象と練磨された鋼鉄の塊が力を生みそして静寂こそがよりその海を海と感じさせる要因なのではないかと思った。時刻は午前3時を回っていた。 無限がその束ねるところの意味だとすればそれを割る行い自体が道化であり、愚だ。 コンフリクトゲーム すなわち矛盾とその規則性はどこまでいっても一定期間で起こるものではないし、地表の噴火のように基準を超えれば爆発するというものではない。 ならばいっその事、割を捨てるか。 この唐変木!腹ただしい言葉が聞こえた。唐変木、今までの一連の出来事と完全なる形自体が進化とは結びつくものではないという事でもない。 未来がゴン太の継承でゴン太の進化が今だとすればゴン太の役割はYESかNOを明確に分けることだ。 そして一つの方角がそこにその時生まれた。 左と右だ。 また僕がコンピューターに使われてしまっているのか。 人は相手の立場に立って物事を考えるのが大切で、愛とはその対象を思う気持ちだと言う。 ならそれでいいと思った。 じゃーそれが例えばキリスト様やお釈迦様に関係してるとしたら話はどうだろう。 僕は前もって言うが完全にお釈迦様に帰属している。 釈尊の教え違わずだ。 色即空是も、空即も唱えないが、南無妙法蓮華経とだけは唱える。 その意味するところは極楽浄土なのかはよく知らないが。 苦しい時にこれを唱えると不思議と解決する事が多い。 理路整然とした道やトビのいない大工をする人には不思議な事に思えるかもしれない。 そしてYESが仏だとかNOがキリスト様だとか*言うつもりはさらさらない。 どちらにもその主張や教えの尊さを感じているし、お互いの神の立場もあるだろう。 いわば南風の向かうところ敵なしなのだ。 じゃーどうやってその信じるところを示せばいいと考えた。 他を受け入れるか、他を受け入れないかである。 他力を受け入れるならNO 自分にはできないができる可能性がある。YES自分はできないと応えるかである。 そもそもその他力というものを自分の力として捉えるかである。 そうした時にだから僕はNOがいいと応える。 自分でなそうと思うなら当然YESだし、今のところの経験でそれができならそれはYESだ。 しかしながら 絶対的に言える事はここにはいつも他力なるものがかならず存在し、そしてそもそもこの宇宙をなしているものは 他力にほかならない力だ。 そして自分でなせる事は常にその見えない力は自分にいつも自分で行うように課している。 いつしか僕もその僕の力を他力とする時が必ず来るだろう。 いやもうそういう風に半ばなっていると思うが神の力は当然こんなものではない。 そして明らかなことだがその中に文は存在しない。 僕の今書いている文章は当然自分の思っている事を書いている。 他力本願の性善説についてながながと語るつもりはないが要するに相手を利用してなんかさせてやろうと思うのは僕は悪だと思うし、その中でではなぜ他力が必ず訪れる事が信じられるのかというと絆であり、そして愛されては憎まれ、憎まれては愛される事を続けてきたからだと思う。 複雑なことを解説する事はできないが長いその関係自体があり、また親もしかりだと思うからであり また自分の力もある程度ない事にはギブアンドテイクの関係は生まれない。 だから毎日勉学や事象を受け止めるのに努力している。 時代の風に流されていたのであっては普遍なるものとはなんて考える事もなくまた前進とはなんなのか後退とは何なのかすら考えないだろう。 自分の中に世界を築き、そのドラマを見せる喜びも生まれる事はないだろう。 THERE IS NO MORE USE CRYING この英語の訳をどう訳すかも、また気持ちも事象のみで世界を判断し、冷酷に切り捨てる輩にはわかるまい。 普遍というものを考える時にかならずその種の系統は万物化する。 そしてその万物の成長の際に使われるのがその形であるならそれでも構わないという事であるが 迷わず僕はそれは大目に見てくれ勉学の鏡だからと何回も言ってきたし、そしてその答えは当然知る由もないと心の中では知っている。 無知の知の源泉である。 果たしてこの源泉なるものがどこから伝わってくるのか、そして人の核心や自信は奇跡の歴史なのか 奇跡とは奇跡自身だけの歴史なのか 僕はそれを知っているし、今手を差し伸べてくれているドイツの友もそのまた昔の友もまた太陽の歴史も 経験してきた。 だから当然、ポケベルがなぜなるのかもわかっているつもりだ。 イエムはいつのまにか胸を張って鼻息を荒くした。。

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