Subeatleoの自作ルーム

 

光ある限り、影ある限り、ほほ笑みある限り

翼を広げて

  イエムとレク、静と動に揺れ動く世界の中で何を感じ、何を見ているのだろう。 ザカエブリッジは今、いよいよ黄泉との精通を果たした。 そして真なる二人の心が揺れ動く。 セキトと化したエノシは左舷にその正を感じ、ルナは右舷にその正を感じ取ったようだ。 神棚に飾られた榊の葉が揺れ、その反対面に座した月が笑顔で微笑んだ。 人は立ち位置を常に意識する。それは分断の刃に落ちない事を常に意識した人々の 知恵なのだろうか。もしもそのXが先陣を引き、そのルートがあとから導きだされたとしたら そして  その差を返すなら。その二人の理解の大きさはどの程度なのだろうか イエムは考えていたもしも二人の理解が真逆になれば風は刃を向き、その中心を襲う事になる。 またその解が重なれば極性の十字のRに近づくことになる。 寄せては返す波の音、夏の息吹もどこか静まり、イエムの部屋は静寂に満ちていた。 4季によるxのその反省を促す事による負の感情とまた共感はどの程度の開きがあるのか。 自然のなす技にそのコントロールをつける事が人に可能なのか。また生態の増加に伴った 地球環境の温暖化はどの程度の雨量をもたらすものなのか、テレビは議論していた。 万物のあるアルケイは水、無知の知、そして神の見えざる手その三者の解の答えの開きは 経済の発展にともない豊かになった文明はその抵抗を自然と考え善を行おうとする。 がその負極に陥ったものの解の向かう先はその文明の抵抗にあると時に考える。 そしてみな自分の生きた世界をそのモチーフ、考えの土台にしてしまう。 その土台、基礎たるものが移り変わるのは哲学という真実への抵抗なのか。 またその解が負にずれた場合と正にずれた場合の差はどの程度のものなのだろうか。 夢という事象がそのマイナスの対象にならぬことを願うばかりだ。 夢は時に心の余裕を人に与える。 その余裕の幅は現実の行為の幅よりも遥かに広いことは明白な事実だ。 この解の導き出すものが仮にこの小説に出てくるセキトであるなら セキトは今後、その世界をどう乗り切るのか。 イエムのシックスセンスがいよいよ動き出した。 そしてこの時、いよいよ建設されたザカエブリッジが起動した。 夏と冬、秋と春 そしてそこから春から夏へ、夏から秋へ、秋から冬へ、冬から春へ そのxの自浄作用とその二倍の和する意味がその5つの種の脳裏に生命を浮かびあがらせてゆく。 感情の逆解がつづくかぎりこの度は終わることはない。 ーつづくー  

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