双曲線の抵抗値600
レクとイエム、二人の活動自体が相、違う時、丘の鐘は継承をうまない。
死者への鎮魂の願いは叶うことはなく憎しみが憎しみを生み、
レクとイエムは相離れていく。
日々生きるものの糧となる行楽はそれ自体、
日常者の第一次産業ではたらく人々の活動なくば
ありえないものだし、そのような人々の息抜きとして
提供されるべきものだからだ。
戦争が起これば大きな大不況に陥るのはその因果に似ている。
レクのダイスが天を差すのはその涙の分だけ前進を産んできた
証拠だろう。
いま天秤の水火の御堂の図りが、
相容れない時の潮流のパラドックスに制裁を加えようと
している。
情報操作による時の情報の逆流とその時、
その場所に帰りたいという人の願いが
大きな意志に変わり、前をみんと動くトンネルの先を照らした。
仮に両サイドにその相反する構造の関係式が置かれ、その端と端が繋がる時に
分母の空母0が現実に変わるとするなら。
その仕掛けの最たる速度加速ゲートは大きな意味を持つことになる。
押しきれない坂の頂上までのガス欠のバイクが坂を越すことになるからである。
イエムの父は相撲をみていた。
勢いという力士がつき押しで横綱を押し出した。
大衆のメカニズムと集団心理の扇動。
マスメディアのマネーゲームの最たるものが結集した
抵抗値分解が行われそのテクノに
溺れた人々の風が、酔拳に変わっていく。
いわばナチュラルハイの状態でエッジ、終局、南北、
東西の逆転にたどり着いた人々が
突如めざめはじめ、故郷を思ったその瞬間である。
タイムマシンは現実のものになりえるかもしれない。
レクは思った。
イエムは家の部屋と部屋を分けるふすまを眺めていた。
その小さかった頃、それを海苔で止める母の姿を思い出したからである。
掘削という計り知れない労苦を美術品の作成で課せられた小学生たちが
何を今思うのか。
それは大人になってから活かされるであろう
変わることはない現実化への疲労感を幼き日にその経験則
抵抗値のそれ自体の認識力を備えるためなのだ。
では逆にそのものの弱さ、耐久性は何をもって測る事ができるのか。
そこで浮かび上がるのが戦争と破壊である。
鉄騎士自体をよく知らずにその短所ばかりを咎める人は後をたたない。
だがその真の耐久性の元たる哲学を知る時、それを思う人は涙する。
そしてそれが潮流にかわる頃
クロムウェルが再びこの継承の丘へ戻る事になるだろう。
情報リソースを復元するのは記録媒体さえあれば比較的難易度を伴う作業ではないが
実はその物質、自体を復元する労力には資金を必要とするものなのだ。
いわば活路を開くとするなら、その物自体の形象化と受けつぐ意味、
なぜ残さねばならぬのかを考えなおした方がいいのではと思わざる得ない。